2017年8月10日木曜日

つくしさんへの返事

ブログを書ける時間がないままにまたもや1ヶ月以上立ってしまいました。
今日は取り急ぎ、質問を頂いた、つくしさんへのお返事を書きたいと思います。

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つくしさん、

時間が立ってしまってごめんなさい。
今日はどこまで書けるかわかりませんが、一部だけでもつくしさんの
質問にお答えしたいと思います。

アセンションとはなんでしょうか?

瞑想あるいは祈りのテクニックとよく言われます。
そうすると、瞑想とは何か、祈りとは何か、に話をまず戻さなくては
ならないかと思いますが。笑

コースを教える時によく話すのですが、私はただ”瞑想”と呼ばれるものに
飛びついて、しがみつくこと長年、瞑想が一体なんなのか、考えてみた
こともなかったのにある時気がつきました。

急いでグーグルに聞いてみました。
運のいいことに、グーグルはとてもいい答えを探してくれました。

”瞑想とはすなわち本来の自分であること”

大感激、大満足でした。
トニー・パーソンズが同じことを言っていたな、と思い出しました。
(聞いた当時はなんのことかさっぱりわかりませんでしたが。)

瞑想とは、すなわち本来の自分であること。
だから特定の姿勢をとって、特定のことをしている時だけが瞑想、
というのはありえない。

じゃぁ、今と何が違うのか。何もしなくてもいいじゃん、
となるわけですが、

これは”自分”をなんだと思っているのか、という視線・認識の話になるわけです。
理論ではなく、受け売りではなく、日常の当たり前の認識として、自分を
何と捉えて生きているのか。

自分というのはパーソナリティか。
職業や社会的役割か。
性別や年齢が特定するものか。
今やっていること、これまでにやってきたことが形作るものか。
記憶の集まりか。

そのすべてが起きるのを可能にし、ただ見つめているものか。
さらには、見つめることを可能にしているものか。


自動操作になっているすべてを止めて、それを見つめてみるのが”意図的に”設けられた、
言い換えると、目を閉じての瞑想の時間だと思います。

さらに、目を開けて日常生活の中で、それを確認し続けること、それが目を開けての
瞑想だと思います。

(ダグラス・ハーディングが言っていたように、自分を知るための方法は、
いつでもどこでも、常に行えるものでなくてはならない、というのは本当だと思います。)


そして大切なすべての大前提は、瞑想は”それ”を起こさない、ということです。

私たちが瞑想をしようがしまいが、”それ”はまったく影響されません。
増えもしません。
減りもしません。
強くもなりません。
弱まりもしません。

私がアセンションしようがしまいが、”それ”にはまったく影響ありません。

その上で、

自分はパーソナリティだと信じて、その嘘の行き詰まりに苦しんでいる時、
あれやこれやの信念(こうあるべきだ、こうするべきだ)が息を吸えなくしている時、
あるいは、どうしようもない探求の衝動が自分の中に組み込まれてしまっている時、
ある種の瞑想はとても大きな助けになります。


アセンションは外に向いている視線を内に向け戻す、非常にシンプルな瞑想法です。
あるいは、自分の思考パータンを邪魔する、パターンに切れ目を入れるメソッドです。
日常の中で、非常にニュートラルな、非個人的な思考を通常の思考と交互に思い浮かべます。それだけです。

本来の自分に戻るのに、何か新しいものを足す必要はあるわけがありません。
ただ、無用に足された条件・パターン・自動操作を一瞬でも止めること、目の前にかかっている幕を一瞬取り去ることで、もともとそこにあるものを思い出します。

目を開けて、目を閉じてそれを繰り返すことで、本来の自然なあり方がよりしっかりと思い出され、それに馴染んでいく、というのがアセンションです。


と、今日はこんなところで。
すべての質問に答えられていませんが、またおいおい、書かせて頂きます。

ではでは。


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2017年6月28日水曜日

間違ったものを見出せない

私の師、カーリーは、出会った頃は強烈な人でした。
鋭さと容赦のなさ、触ったら切れそうなギリギリの感じがありました。

それは彼女があまりにも真剣だったためだと思います。

16年の中で、様々な我が師の変化を見つめることになりましたが、
ここ数年は特に、すべてのものの、あるがままの完璧さを見ている=どんなものにも間違いを見出していない、ということに気がつきます。

ジェッド・マッケナが”僕は完璧な宇宙に住んでいる”と言いましたが、我が師もそれを完全に体現しています。


同時に、ものすごく文句を言ってるように見える時もあります。笑


ある共通の友人について、”カーリーが痛烈に彼女を批判し”、聞いていた私はだんだん居心地悪くなっていきました。二人の間に挟まれているような気持ちになった私の、居心地悪さが頂点に達した頃、ふいに、
”今私は、彼女の何かが間違っていると言ってるように響いていることを
よく承知しているけど、まったくそうは思ってないのよ。”
という言葉がカーリーの口から飛び出しました。自己弁護でもない、自分の説明でもない、彼女の話から途切れることもなく続いたその言葉は、まるで他の機械の解説をしているようでした。

おかしな経験でした。

******

何かがこうあるべきだ、こうでなければ間違っている、
という観念がない人の口から出る言葉は真実に満ちています。

空気のようにニュートラルな観点は、事実だけをシンプルに指摘します。それはスピリッチュアルとか呼ばれる分野特有の話ではありません。

数ヶ月前に4人の移民弁護士さんと関わる機会があって、それを体験しました。
領事館からVISA申請に関して追加資料を求められ、申請が却下される可能性もある繊細な状況だったので、弁護士さんに助けを求めました。

最初の3人の弁護士さんは、皆、過去の経験に基づく”自分の角度”を持っていました。なので質問と関係ないアドバイスが多く、必要な情報を受け取るのに、なんども質問を繰り返さなくてはなりませんでした。

また、弁護士さんは職業柄、情報が命ですから、どれくらいの情報をこの料金の中で渡すべきか、いつも頭の中で計算しているのが見て取れ、ここでもしつこく質問を繰り返さなくてはなりませんでした。

それはこれまで何年か、何人かの弁護士さんと仕事をしてきた私の印象通りで、チャレンジではありましたが、特に驚くことではありませんでした。
むしろ驚いたのは、4人目の弁護士さんです。


4人目の弁護士さんは空気のような人でした。

非常な無理を押し通したのに、会った時にはまるで、そういうことは記憶のどこにも止っていない様子でした。持ってきた資料をすべて読んでくれたのも、この弁護士さんが初めてでした。

すべての情報を空気のように吸い上げたあと、”私にどんなお手伝いができますか?” と聞いてくれました。そこにはどんな方向や意見をも押し付けることがない、完全なオープンさがありました。

私は指定の時間内・料金内で、最大限の情報を得、無用な情報を削ぎ落とすことができました。

最後に弁護士さんは、”助けになりましたか?”と聞きました。
”あー、さすがに自己評価は求めるのね”と思ったら、勘違い。本当に役にたったのかどうか、という事実確認だけで、賞賛を求めているのでも、自己評価を求めているのでもありませんでした。


この弁護士さんは、私に相当なインパクトを残しました。
どこにもひっかかりのない、果てしなくニュートラルなあり方と、そこから出てくる適切で曇りのない情報。この人のあり方は、本当の意味で人に仕えていると思いました。

こんなあり方からなされる仕事は、それが書くことでも、マッサージでも、料理でも、セールスでも、本当の意味で人の役に立つ、と思いました。

以来なんどもなんども、感情や意見が活発になって彩りを加えそうになると、この弁護士さんのことを思い出しています。


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2017年5月26日金曜日

自分にたぐり寄せる

”バガヴァッド・ギータはアージュナの物語ではない。私たちの物語だ。”
ジェッド・マッケナ

”何かを読んでも、見ても、それが自分にとってどうなのか考えてみないのなら意味がない”というジェッドの言葉を、ふんふん、と”観客”として大いに賛同しながら読んだことを思い出します。

ジェッドの本はかなり辛辣で、皮肉やナルシシズムの響きが強く感じられる本なのですが、自分はジェッドと同じ”あちら側”に立っていて、ジェッドが話しかけている観客、”向こう”を彼と一緒に眺めているつもりでいました。

ははは。絶大な無知のなせる技。(^^)/

それは実際、ジェッドの本に限ったことではなく、アディヤの本でも、ニサルガダッタの本でも、映画でも、たいていは同じ立ち位置をとっていました。

バイロン・ケイティのワークを手にとった時も、CDを聞いたり、ビデオを見て感情移入は散々しても、ケイティに”同意”は散々しても、自分でペンを手にとってやってみるまで、自分に向かうまでには何ヶ月もかかりました。

今読み返すと、”これのどこをわかったつもりでいたんだろう?”と仰天することが多いです。無知の特典は自分はわかっている、と思うことですから、まぁ、避けようのなかったことですが。

”本当にわかっているのか?自分の経験ではどうか?”と、出会った言葉、インスピレーション、感銘とともに沈思、黙想、瞑想する時、真に自分にたぐり寄せる時、痛みを伴うような共感が湧くこともありますし、さらに深い洞察を得る瞬間もあります。

でもそこで止まらずに、さらに”自分”にたぐり寄せると、、、、

個としての”私”の共感、理解、洞察、さらなる質問といったすべてが消えます。

・・・・この神秘っぽい、思わしげな、何か特別なことがありそうな響きは嫌いなんですが、、、私の能力不足。

次に起きるのは、恍惚の波に襲われて公園のベンチに一年座ってた、
とかそんな極端なことじゃなくて、ふと気づくと、トイレに向かってるとか、ご飯食べる準備してるとか、そんな普通に”生きること”です。

隙間なく、行為が起きる、あるいは起きない。

いずれにしても散漫に観客として生きる中で、”夢”から覚めることはない。

********

今年の教師養成コースが始まって、はや1ヶ月と1週間たちました。
去年のブログを読んでくださった方には、毎年あるイベントのように映るかもしれないのですが、トレーニングは不定期です。

たまたまたくさんの人が希望したので、一度にはできない、ということで二年に分割されましたが、最初に今年のコースを希望していた19人の人が最終的に参加できず、別の23人が参加する結果になりました。いつもながら蓋を開けるまで誰が参加するのかわかりません。

今年のグループはとても成熟している、大人なグループの感じがあります。今年は海外からの参加者が4人いて、さらに豊かな感じです。

10年以上前に参加するはずだったのが、今年来る結果になった人、コースが始まってから唐突に家を売り、車を売り、すべてを売り払ってコースに来る結果になった人もいます。

どうやっても観客でいることのできない環境を選んでやってきた皆に、深い敬意を表します。深い愛情、感謝の念と、痛いくらいの生々しい生に満ちたこの環境に今年もいられることに、深い感謝が湧いています。


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2017年4月6日木曜日

在る




「もし、あなたの生涯で唯一の祈りが『ありがとう』であるなら、それで十分である」
ーマイスター・エクハルト



「これ、や あれ、に感謝しているのではありません。感謝しているのです。」
ーバイロン・ケイティ






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2017年3月25日土曜日

分析の無用性



くるくると、人生の周り灯篭は周り続け、私たちは同じ経験をちょっとずつ違ったシナリオで眺め続けます。

例えば、
知っているという誇りは
間違っていたという羞恥心に揺れ戻り、
人を責める気持ちは
自分を責める気持ちに揺れ戻る、
などなど。。。

それは、
行ったり、来たり、2極の間を揺れ続けるようであり、
らせん階段を登り下り続けるようであり。

例えばアセンションをすると(気づきが”それ”に返ると)、この回り続ける輪が一瞬で壊れてすべて消えてしまいますが

そこで一抹の不安がよぎることがあります。

”本当に手放していいのか?”
”どうしてこのパターンを繰り返すのか、また戻ってこないよう、根本まで突き詰めて見つめ直した方がいいのでは?”

根本まで突き詰めることにはとても意味があるように感じられます。
ただ手放すことは無責任な気がしたり、本当にそれでいいのか、という恐れの反応が湧いたりします。

感覚が湧いているのはどこなのか。
感覚が湧いているのはなぜなのか。
このパターンは何を意味しているのか。

これらの追求はとても意味や意義があるように感じられます。
瞑想して集中するのもそうですが、何か生産性を感じられます。
何か達成していっているような、どこかに向かっている感じがします。
”何かしている”ような感じがします。

でも達成感や進歩感、意味、意義を求める限り、楽しむ限り、
私の再形成、という蟻地獄から出ることはありません。

ジェッド・マッケナは、
”戦わなくてはならない時は戦い、登れる限り登れ”
と言います。

人生を手にとって見ることなく、無意識に生きるのは、
下水の中にいるようなものだと彼は表現します。
それが臭くないならそれでいい。問題などあるわけない。
でもこの嘘の匂いが耐えられないのなら、そこから全力で出ろ、
と彼は言います。

夢の世界は楽しいのだから、誰にもそこから出ろなんて言う気はない。
でもその嘘に耐えられないのなら・・・
楽しい夢のすべてを捨てて、そこから出るしかない。

そしてそこから出るのが目標なら、
下水の中に幻の怪獣を見つけるたびにやっつけに戻るのではなく、
ただひたすら上に登れ、
と彼は言います。

どうしても戦わなくてはならないなら戦え、だが登れる限り登れ

”いやぁ、でも戦いなんてないし、究極のところ何も起こっていないわけだから”
”どこかに向かっているなんて幻想だし”
と、かるーく”知ってる人”、”わかってる人”の立ち位置が反射的に湧くとか、

”ふんふん、そりゃそうだよねー”
”あー、なるほどー。わかる、わかる”
なんていう軽い同意で終わるのではなく、

それが疑いない事実、現実となるまでは、
この助言は有効だと思います。

回る絵にくっついて、人生のドラマのメリーゴーランドに乗る事が減っても、
”傍観者”という新たな”私”がすかさず構築されます。
”前ほどドラマに飲み込まれなくなった自分”という新たな立ち位置は、
進歩感を伴う、正当化しやすい”私”の強化です。

回り灯篭のいかなる絵にも
感情という名の糊で”自分”を貼り続けることなく
勝利や進歩が、常に消えるがままに手放し続けるー

どこにも、なにも、向かう者などないままに。


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2017年2月28日火曜日

五蘊 / ”私”の科学

バーナデット・ロバーツは、

”ものごとの渦中にある時は、それが何であるのか理解することはできない。
失ったとき、過ぎ去ったときに振り返って初めて、理解することができる。”

ということを言います。

エゴを機能基盤として生きているときに、エゴが何か、
その特性や働きを理解することはできない、

自己という感覚の中で生きているときに、自己とは何か、
その特性や働きを理解することはできない、

と繰り返し主張します。


彼女は、”自己を完全に失う”という経験が起きたのち、自分に起きたことを理解しようとして、手当たり次第の文献を手に取って勉強しました。

その中の一つが仏教の教えですが、その中で自己、”私”の構成を描写した
五蘊を目にしたとき、最初は”正確な描写であるけれど、これも違う!”
と放り出しました。

その後ふと、
「”私”を構成している要素を正確に描写するのは、自己を超えないと不可能」
ということに気がつき、これを書いた人は自己の喪失を経験したに違いない、と
気づくに至ったそうです。

彼女は、
”仏教の教えの中で最大の価値があるのは五蘊だ。それ以外は知る必要ない”
とまで言っています。

このあたりはとてもバーナデットらしいのですが・・・


それはさておき、

最近この部分がまた気になって再読し、そこから五蘊について調べてみたところ、
ウェブですごくいい記事をいくつか見つけました。

これこれ

特に2番目の記事、ベストアンサーに選ばれたjojon_folkさんの回答には、そのさらりとした深みにびっくりしました。だって、yahoo知恵袋ですよ!仏教サイトでもブログでもない。笑

アマゾンのレビューなどで、たまに書いている人の経験や智慧の深さにびっくりすることがありますが、こういう風に何者でもなく、ただ深い智慧とともに生きている人というのが、いつでもどこかにいるんだよなぁ、と深く感じ入りました(蓋を開けたらどこかの有名な人とか、先生とかだったりするかもしれないけど。笑)

”実体とは、そのものの主体であり、常にあり、そして他に依らずそれ自体であるもののことです。見られたもの(客体)、生じたり滅したりするもの(無常)、縁起に依るものを実体とは呼びません。・・・・・(略)・・・・・

五蘊を空と観ることは、深い思惟によって得ることができます。分かるというよりも、気づくという体験です。気にしていれば、気づく時がきます。

合掌” yahoo知恵袋より抜粋


溶けました。


英語で読む仏教はすっきりして論理的でとても好きなのですが、
日本語で書かれた、深い智慧を含む記事に当たると、この深さは英語では伝えられていないのによく気づきます。般若心経はいい例ですが、今回みたいな記事に出会う時、日本人でよかった、日本語が読めてよかったぁ、と深い感謝が湧きます。


最初の記事は仏教サイトのよく名の知れた長老の記事ですが、私は、この方の仏教の定義が好きです(これは五蘊とは別のページ)。

仏教は科学であり、概念でも信仰でもない。
誰にとってもいつの時代も何によっても変わるはずのない真理を、
自分で手にとって実験して体験により確認するためのものである、


というのが、私が理解した内容の要約です。


良い記事に出会いました。

********

しばらく前からナショナル・ジオグラフィックの「ブレイン・ゲーム」という番組にはまっています。

”私にとっての真実”がいかに現実と一致しない、あてにならないものであるかを、科学の観点から説明しているのですが、ゲームとともに実体験で”私の感覚”のあてにならさを見ていくのは、なかなかショッキングで目が覚める感じです。

日本のNetflixにあるかな?おすすめします。




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