2017年10月26日木曜日

What do you yearn for? ーあなたが本当に求めているのは何か 

Do you want to defend your position or do you want to see the world as clearly as possible?
自分の立ち位置を守りたいか、それとも世界を可能な限りはっきり見たいのか?
(アディヤだったかな・・・誰だったかな^^;)


6ヶ月に及ぶ饗宴、教師養成コースがひとまず終了しました。

と言っても6ヶ月で自動的に教師になるのではないこのコース、今後も場所を変えて継続していくようですが、私はひとまずコースを離れ、自分の生活に戻っています。

あちらにサポートに行っていると、ボルテックスに入っているかのように、時間の流れも世界も特殊で、何がそんなに忙しいのかわからないままに忙しく、そこ以外のことがすっかりおざなりになってしまうので、ないがしろにしてきた家の諸々にせっせと対応しているところです。


今回も学ぶことが多かったなぁ。


23人もの参加者が、6ヶ月も普通の生活を投げ打ってやってくるわけですし、それまでの人生をすべて持ち込んでくるわけですから、とんでもなく濃厚な時間となります。

みんなとーっても大きな”私”というアイデアと、世界に関する、コースに関する、この瞑想に関する、悟りに関する、食べ物に関する、癒しに関する、体に関する・・・と、すべてに関する様々なアイデアを持ってやってきます。

もちろん、”私”に関するアイデアは、その人だけのものではありません。その人の周囲の人みんなが関わって、支え合って”私”が形成され、維持されるわけですから、直接的・間接的に、周囲の人もコースに参加しているわけです。

生きてる方も、亡くなっている方も。

もちろん、それは養成コース生だけでなく、リトリートに来る人、サポートに来る教師についても同じです。常時38〜46人が、逃げ場もなくひしめき合って”自分”を崩し続けるのですから、強烈でないわけがないですね。

で、6ヶ月、何をしているのか。

要は集中的な自己解体です。アセンション、という手法を通して自分のパターンを邪魔し続ける。パターンが邪魔されると自然にそこに現れるものに馴染みを深める。

そんな過程です。

当然、楽なことなどありません。本当にみんなよく頑張ったなぁ、という思いと、みなの変化に感嘆の思いがわかずには入られません。

でもこれは新しい生き方の基盤をちょっと作ってみました、と言うだけで、終わりというよりは始まりでしかありません。自分の経験を振り返っても、ハイハイが始まっただけでよちよち歩きすらまだできていなかったと思います。

これから外の世界に帰って、本当に大切な一歩が始まります。

”自分が本当に求めているものは何か”という問いを、人生のすべてのものごとが、毎瞬間私たちに突きつけます。

”私”とその立ち位置(同じものです)を守りたいのか、
それとも世界をはっきりと、本当にありのままに明晰に見、経験したいのか。

創造から破壊まで、生命が脈動する様をただ見る、直接体験することは、”私”にはできません。
同意すること、否定すること、賛成すること、反対すること、信じること、疑うこととはまったく関係ない、相容れないあり方です。

世界をはっきりみたかったら、”私”を捨て続けることになります。

教師になったから、教師として成功しようとか、いい先生になろうとか、いい人であろうとか、自分のスピリッチュアリティをさらに深めよう/高めようとかいったことは、どんなに見かけや響きが良いものでも”私”の確立に関わる話なので、いわばまったく逆の選択になります。

”私”の動きが完全に止まるまで、幻想の旅と選択は続きます。

2017年10月1日日曜日

アディヤ・シャンティ


『少しずつ、それは自体を顕(あらわ)にし始める。 僕は、僕たちのスピリチュアルな変性には、’目覚め’あるいは’悟り’などといった到達点などないのだ、ということに気づき始めた。終着点はない。スピリチュアルに目覚める、あるいは悟るということは実際、他の動きが起きることーそしてまた別の、また別の、また別の動きが起きるのを許すことだ。スピリチュアルな目覚めは、全く新しいスピリットの動きが起こり始める地盤であり、そしてその、僕たち自身の自由の感覚から生まれる新しい動きこそ、僕が’真の自律性への目覚め’と呼ぶものである。』

『実際、悟りは意識の別の動きを可能にする。この意識の別の動きは、僕たちの人間性(人間味)から目覚める、時間と空間から目覚める、個人としてのアイデンティティから目覚める、というようなことではない。それはほぼ真逆で、スピリットが形に入り、この真の自律性を発見するのだ。』
~ アディヤシャンティ