2017年10月1日日曜日

アディヤ・シャンティ


『少しずつ、それは自体を顕(あらわ)にし始める。 僕は、僕たちのスピリチュアルな変性には、’目覚め’あるいは’悟り’などといった到達点などないのだ、ということに気づき始めた。終着点はない。スピリチュアルに目覚める、あるいは悟るということは実際、他の動きが起きることーそしてまた別の、また別の、また別の動きが起きるのを許すことだ。スピリチュアルな目覚めは、全く新しいスピリットの動きが起こり始める地盤であり、そしてその、僕たち自身の自由の感覚から生まれる新しい動きこそ、僕が’真の自律性への目覚め’と呼ぶものである。』

『実際、悟りは意識の別の動きを可能にする。この意識の別の動きは、僕たちの人間性(人間味)から目覚める、時間と空間から目覚める、個人としてのアイデンティティから目覚める、というようなことではない。それはほぼ真逆で、スピリットが形に入り、この真の自律性を発見するのだ。』
~ アディヤシャンティ