2018年3月13日火曜日

成長のらせん2 〜投影、参照

春です。


一見桜っぽいですが、ここいらの春の花はドッグウッド=ハナミズキです。

これは同じ木じゃないんですが・・・こちらも定番。


道の両脇を囲む緑、そして立ち並ぶ家や建物の合間にピンクや白がたくさん突き出し始めると、春の到来です。

ただし、そこからまた突然寒くなったりするのが、この辺りの典型的な陽気なんですが。^^;
昨日は雪がちらついていましたし!

日本は今はどんな様子でしょう?今年は帰国の時に、桜見れるかな?

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投影、参照。。。。

”私”の根本的な機能は、”自己投影”、そして絶え間ない”自己参照(自己言及)”です。
外にものを見るときは、”私”を元に意味、価値を決めたり、解釈したりします。

自分の記憶、蓄積してきた印象や知識を、外からのきっかけに応じて素早く組み立て、
”私が見ているのはこういうもの”、という風に瞬時に解釈し、外界を素早く構築します。
そしてそれが”私”にどういう影響をもたらすのか、どういう意味があるのか、
”私”にとってどうなのか、
”私”と比べてどうなのか、
めんめんとあらゆる想像をします。

いわゆる保身機能ですね。それが性質なので、それしかできません。

これが”私”の宇宙です。
よって、物事をありのままに見ることはほとんど不可能です。



そんな”私”には、自分を超えたものを想像することができません。
なので神でも、マスターでも、グルでもいいですが、

自分のスーパー良い版”としてのイメージを投影することになります。

・・・・はい、相変わらず稚拙な描写ですが(^^;)。

で、それが”私”にどんな素晴らしい人生や喜びをもたらすかと、想像をたくましくするわけです。
スーパー私”がくれるご褒美を、
それが素晴らしい瞑想の経験であれ、
人生が楽になることであれ、
”すごい変わったねー、何かあったの?”と人に認められることであれ、
よだれを垂らして待つことになります。



一方、私たちが”見つけようとしている”と主張する”それ”には・・・

”対象”というものが存在しません。



皆無です。



投影のしようもなければ、自分側にたぐり寄せるべきものもありません。

投影する先も、可能性もあまりにもないので、投影という動き自体が完全に消滅してしまいます。


(絵にもできない。)



”理解する(わかる)ことに満足するなら、対象なき状態に届くことは決してないだろう”
〜ニサルガダッタ・マハラジ